ペンギントラベルができるまで① 旅とつながっていたかった
私は、自由を奪われるのが大嫌いだ。
だからコロナが大嫌いだった。
大好きな旅行はできない。好きなところへ行くことさえ憚られる。世の中全体から「家にいろ」と言われているようで、気が狂いそうだった。
もともと私は、家にじっとしていられる性分ではない。コロナ禍でも毎日のように職場へ行っていた。一日たりとも、家にこもっていたことはなかった。
私をあざ笑うかのように頭上を飛び回る報道ヘリの音に腹を立て、窓から怒鳴ったことさえある。
職場では、上司が消毒スプレーを持って私を追いかけてきた。
(私はゴキブリではありません。)
こんなことを書くと軽蔑されるかもしれないが、私はコロナだからという理由で、わざわざ手を洗おうとしたことすらなかった。
何かを強制されることそのものが、たまらなく嫌だったのだ。
精神科にも行った。
それでも家にじっとしてはいられなかった。
幸い、池袋の西武デパートは開いていた。働いていた人たちには迷惑だったろうけど、私にとってはオアシスだった。
周りの飲み屋が次々と店を閉める中、営業を続けてくれたバルデリコさんにも、本当に感謝している。
あの頃は、開いている店があるというだけで救われた。
「ロックダウン」という、それまであまり聞き慣れなかった言葉がニュースを飛び交うようになった頃、私はフィリピンで会った二人の中国人男性のことを思い出した。
禁煙してからタバコの匂いに弱くなっていた私は、ぷかぷかとタバコをふかし続ける、その日一緒に潜ったドイツ人を避け、タバコを吸わない二人連れの中国人と話をした。
武漢出身だった。
二人は日本にも何度も来ているという。
近いうちにまた日本へ来て、山に登る予定だと、楽しそうに話していた。
「お金あるね?」
と聞くと、
「あるよ」
と即答した。
日本人なら一度は否定しそうなところを、即答する。「謙遜しないんだ」と、その率直さが妙に面白かった。
忠臣蔵が好きだというのも意外だった。
いろいろ話して、楽しかった。普通に感じのいい二人だった。
それから間もなく、武漢という地名が毎日のようにニュースに出るようになった。
あの二人は、どうなったのだろう。
確かに、武漢と言ったはずだ。
さて、話を少し巻き戻す。
ペンギントラベルにつながる最初の一歩は、実はコロナより前に始まっていた。
2019年、私は国内旅行業務取扱管理者の試験を受け、合格した。
なぜ受けようと思ったのか。
実は、覚えていない。
当時勤めていた事務所の先行きが怪しくなっていて、「何か資格でも取っておいた方がいい」と危機感を抱いていたのかもしれない。
そうだったような気もする。
まあ、とにかく受けた。
そして、受かった。
すると今度は、国内だけでなく海外も扱える「総合旅行業務取扱管理者」に興味がわいた。
難しそうだ。
でも、電車の切符の計算をさせられるよりはましだろう。
国内の試験では、本当に電車の切符の計算問題が出るのだ。
まあ、一度くらい受けてみるか。
ところが、この国家試験が呪われていた。
試験内容が難しかったこともそうだが、試験を受けること自体が難しかったのである。
なぜか。
2019年10月13日。
総合旅行業務取扱管理者試験。
台風19号で中止。
しかも東京と宮城の会場だけが中止になった。
なんという運の悪さ。
再試験は、2020年3月15日に決まった。
今度こそ。
ところが今度は、
新型コロナの感染拡大で中止。
ますますコロナへの憎しみがつのった。
しかも、そのコロナによって、世界そのものが閉じていった。
国境が閉まり、飛行機は飛ばなくなり、海外旅行がいつ戻ってくるのか、誰にもわからなかった。
今となっては笑い話のようだが、あの頃は本気で、もう二度と以前のように自由に旅行できないんじゃないかと思っていた。
いつコロナから解放されるのかもわからない。
先の見えない時代だった。
それでも私は、旅行の試験の勉強を続けていた。
当面、海外になんて行けそうもないのに。
行くことのできない外国のことを覚え、運賃や約款を勉強し、試験問題を解いていた。
なぜ、そこまでして旅にしがみついたのだろう。
たぶん、私にとって、旅は、自由の象徴なのだ。
旅とつながっていたかったのだ。
たとえ、紙の上だけでも。
そして三度目の正直。
ようやく受験までこぎつけた。
そして、合格した。
そのときの私はまだ、この資格がその先で何につながっていくのか知らなかった。
あれほど憎んだコロナが、あとになって思いがけない形で自分の人生につながっていくことも。
コロナ様様というか、なんというか。
嘘のような、本当の話。

